事実婚と不妊治療についてー不妊治療クリニック側の観点からー

※この記事は、2021年4月に顧問先からのご要望を受けて実施したWEBセミナーのテキストを転記したものです。

【PDF】事実婚と不妊治療について(テキスト)

1 法律上の婚姻の要件(民法)

  • 婚姻の届出
  • 婚姻意思の合致
  • 婚姻障害に該当しないこと(近親婚、重婚)

 

2 内縁(事実婚)についての一般論

(1) 内縁(事実婚)とは

婚姻の実体を有する男女間の関係であり、婚姻の届出を欠くために、法律上の婚姻が成立していないもの(窪田充見『家族法-民法を学ぶ』(第4版)有斐閣135頁)

(2) 戦前の内縁と現代の内縁(事実婚)

【戦前の内縁】

戸主の承諾が得られず婚姻できない(旧民法)

推定家督相続人同士は婚姻できない(旧民法)

跡取りを産むまで届出をしない(試婚)などの風習

庶民にとって届出婚はなじみのない制度であり、知識の欠如や無関心があった

→内縁関係に留まらざるを得ない、いわば余儀なくされた内縁

→婚姻に準じて保護(判例・学説において、いわゆる準婚理論が発展)

【現代の事実婚】

法律婚にデメリットを感じ、当事者の主体的選択として婚姻届出をしない

理由は様々

夫婦同氏、戸籍制度に不都合を感じている

法律婚による拘束を受けない自由な関係(貞操義務や同居協力扶助義務を負わず、自由に解消できる関係)を望んでいる

→後者のケースで婚姻に準じた保護をすることは当事者の意思に反すると考えられる

→準婚理論は未だ有用ではあるものの、ケースバイケースの判断となると考えられる

※準婚理論

婚姻の効果のうち、共同生活の存在を前提として定められているものは、内縁関係にも準用(類推適用)される。しかし、婚姻届が出されていることを前提として定められている効果(夫婦同氏、子の嫡出性、配偶者相続権)は内縁関係には認められない。(犬伏由子・石井美智子・常岡史子・松尾知子『親族・相続法』(第3版)弘文堂(以下「犬伏ほか『親族・相続法』」という。)119頁)

(3) 内縁の成立要件

  • 内縁準婚理論(学説)においては、①婚姻意思(夫婦共同生活を営む意思)、②夫婦共同生活の実体が内縁の成立要件とされているが、判例においては、事例により要件の緩和が見られる。
  • 最近の学説では、内縁保護の要件を一律的に設定するのではなく、当該内縁に求められている法的効果との関係で相対的に内縁保護の要否を判断する相対的効果説と呼ばれる立場が支持されつつある。これは、婚外男女関係の多様性を前提とすれば、どのような法的効果が与えられるべきかは、結合の排他性・継続性、同居・家計の共同性の有無、社会ないし周囲のサンクションの有無、婚姻障害の有無などの多様なファクターによって具体的な男女結合類型ごとに個別に判断せざるを得ないというもの。(犬伏ほか『親族・相続法』119頁)

→事例(求められる法的効果)によって、保護すべき事実婚は異なる。

(4) 特別法による内縁保護

  • 厚生年金保険の遺族年金(厚年法3条2項)、労働災害の遺族補償年金(労災法16条の2第1項)等の社会保障制度、DV防止法1条3項等では、「配偶者」に、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者も含まれる。
  • 他方、所得税法83条の配偶者控除(所得税基本通達2-4)、刑法105条等の「配偶者」は、民法上の配偶者に限る。

→法律によって「配偶者」の意味は異なる。

厚生年金保険法3条2項には「この法律において、『配偶者』、『夫』及び『妻』には、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとする。」と規定されているが、「配偶者=婚姻関係にある当事者ならびに婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」と一般的に定義することはできない。

(5) 最近の事例

令和3年3月17日付け最高裁判所決定

同性の事実婚に不貞慰謝料が認められた事案

…約7年同居、アメリカで婚姻登録証明書を取得、日本国内で結婚式を挙げたこと等(東京高裁)

3 不妊治療と事実婚

法規制なし

最高裁判例なし

参考として…

  • 助成金制度
  • 平成25年裁判例
  • 平成26年日本産科婦人科学会会告

 

4 助成金申請の要件

厚生労働省「不妊に悩む方への特定治療支援事業(令和3年1月 1 日以降治療終了分)」

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000740833.pdf

㋐ 両人の戸籍謄本(重婚でないことの確認)

㋑ 両人の住民票(同一世帯であるかの確認。同一世帯でない場合は、㋒でその理由について記載を求めること。)

㋒ 両人の事実婚関係に関する申立書

なお、事実婚関係にある夫婦が助成を受ける場合は、治療の結果、出生した子について認知を行う意向があることを確認すること。

 

5 平成25年裁判例配偶者の承諾なく生殖医療行為を実施したクリニックの責任

東京地裁平成25年7月19日判決(平成23(ワ)18054号)

出典:ウエストロー・ジャパン、2013WLJPCA07198008

(不法行為の成否)

・       婚姻関係にある男女の一方が,配偶者の承諾なく,配偶者ではない第三者との間で子をつくる行為は,配偶者の婚姻共同生活の平和の維持という権利又は法律上保護に値する利益(配偶者としての権利)を侵害する不法行為に当たる。

・       生殖医療行為は,男女間において,自然な性交によらず,精子と卵子を受精させて妊娠に導くものであって,不妊症の男女の子をつくりたいという希望を実現するための重要な医療行為である。したがって,医師は,不妊症の男女から生殖医療行為を実施するよう求められてこれを実施することについて,原則として責任を問われることはない。

・       しかし,被実施者両名が婚姻関係にはなく,他に配偶者がいる場合に,その配偶者の承諾なく生殖医療行為を実施することは,被実施者との関係では正当な医療行為であるが,配偶者との関係では配偶者としての権利を侵害する行為に加担する行為といえるのであって,生殖医療行為は,配偶者に対する医師と被実施者の共同不法行為を構成し得る。

(故意・過失の有無)

・       被告が,A及びBに本件体外受精を実施するに際し,Aが原告と婚姻していることを知っていたことを認めるに足りる証拠はなく,原告の有する配偶者としての権利を侵害することについて故意があったとはいえない。

・       また,前記認定事実1(4)イのとおり,平成18年2月2日に発表された日本不妊学会の本件見解において,事実婚関係にある男女に対する本人同士の生殖細胞を用いた生殖医療行為を可能とすべきとされているが,事実婚関係にある男女に対する体外受精が配偶者としての権利を侵害するおそれがあることや,それを防ぐための身分関係の調査義務等についての記載はない。

・       一方,前記認定事実1(4)アのとおり,日本産科婦人科学会の本件見解において,体外受精の被実施者は婚姻している夫婦とされ,その解説において,体外受精を実施する病院は,被実施者が夫婦であることを確認するために戸籍を確認することが望ましいとされていたが,平成18年4月,この解説の記載が削除された。その趣旨は必ずしも明確ではないが,日本産科婦人科学会における議論の状況によれば,事実婚関係にある男女に対する生殖医療行為を容認する上記の日本不妊学会の本件見解の影響があることが窺われる(乙9の1~3)。なお,日本産科婦人科学会において,事実婚関係にある男女に対する体外受精が配偶者としての権利を侵害するおそれがあることや,それを防ぐための身分関係の調査義務等について議論がされた形跡はなく,この点について何らかの見解が発表されたことを認めるに足りる証拠はない。

・       そうすると,Bが本件クリニックを初めて訪れた平成21年1月から本件体外受精が終了した平成22年10月までの間,生殖医療行為を行う医療機関において,事実婚関係にある男女に対する生殖医療行為をすべきではないと考えられていたとはいえないし,また,これらの医療機関において,事実婚関係にある男女に対する生殖医療行為が配偶者としての権利を侵害する危険があることが認識されていたことや,その危険を回避するために被実施者に対して戸籍謄本等を提出させるなどして身分関係を確認する扱いが一般的に行われていたことを認めることはできない

・       さらに,本件体外受精の前後を問わず,本件以外に,事実婚関係にある男女に対する生殖医療行為が配偶者の承諾なく行われた事例が存在したこと,それを被告が知っていたことを認めるに足りる証拠はない。

・       以上の事実関係の下では,前記認定事実1(2)イのとおり,被告は,Bに対して問診を行い,Bから本件同意書の提出を受けた段階で,AとBが婚姻していないことを知ったことが認められるものの,だからといって,Aと原告が婚姻しており,本件体外受精が原告の権利又は利益を侵害することを予見することができたとはいえず,したがって,A及びBに対して戸籍謄本を提出させるなどして身分関係を調査する義務があったとはいえないから,それを怠ったことについて,被告に過失があったとはいえない。

(結論)

・       原告の請求を棄却する。

 

6 現在の日本生殖医学会の見解(インターネットで取得できたもの)

平成18年2月2日付け「事実婚における本人同士の生殖細胞を用いた体外受精実施に関する日本不妊学会の見解」

http://www.jsrm.or.jp/guideline-statem/guideline_2006_01.html

したがって、日本不妊学会は、事実婚の不妊カップルに対する本人同士の生殖細胞を用いた治療を可能とするべきと考える。

 

7 現在の日本産科婦人科学会の会告(インターネットで取得できたもの)

平成26年6月(日産婦誌66巻8号1880頁)「『体外受精・胚移植/ヒト胚および卵子の凍結保存と移植に関する見解』における『婚姻』の削除について」

http://fa.kyorin.co.jp/jsog/readPDF.php?file=66/8/066081867.pdf

本会倫理委員会では,「体外受精・胚移植に関する見解」および「ヒト胚および卵子の凍結保存と移植に関する見解」において,その対象となる被実施者に関する項目にある「婚姻しており」との表現につき検討してきました.

「婚姻」という言葉は本来法律用語であり,法的に夫婦の関係にあるということを意味するものです.本会が昭和 58 年に公表した最初の「体外受精・胚移植に関する見解」では,当時の夫婦関係に関する社会情勢,嫡出子・非嫡出子の法律上の問題,体外受精・胚移植に対する社会的認知度を考え,被実施者の戸籍等により婚姻を確認することが望ましいとしておりました.

その後,体外受精・胚移植の一般化に伴い,平成 18 年に見解を改定した際には,「婚姻」という表現は残すものの,戸籍等の婚姻を確認できる文書の提出については削除されました.この改定は,不妊治療は産婦人科医療の重要な柱のひとつとして長く実施されてきたが,不妊治療は子供を希望する“夫婦”を対象とするものであり,不妊治療を求める男女にあらためて“婚姻関係”を確認するということをしてこなかった経緯があること,臨床の現場では現実的に医療従事者が不妊治療を求めてこられる方に対し,法的な意味での“婚姻”の厳密な確認を行うことには困難を伴うこと,またそこまで踏み込んだ問診,調査をすることは個人のプライバシーの尊重と不整合を生ずる恐れがあること,などが配慮されたものです.

その後 8 年余りが経過する中で,多くの医療施設ではすでに法的な婚姻の確認は行われなくなっています.また,社会情勢の変化により夫婦のあり方に多様性が増した結果,医療現場ではいわゆる社会通念上の夫婦においても不妊治療を受ける権利を尊重しなければならないのも事実です.「夫婦」という言葉を規定するのは国や社会全体と思われますが,本会が公表する見解においては,被実施者に関して「夫婦」である必要性を残すことにより,「婚姻している」とする表現を削除しても本医療は適切に実施できるものと判断されます.

このような観点から,対象となる被実施者に関する項目にある「婚姻しており」の表現を削除することが現時点において適当と判断し,このたび「体外受精・胚移植に関する見解」および「ヒト胚および卵子の凍結保存と移植に関する見解」についての変更案をまとめ,本会機関誌66巻4号ならびに学会ホームページにおいて提案し,会員の意見を聴取したうえでさらに審議をかさね,理事会に答申致しました.理事会(平成 26 年 5 月 31 日)ならびに日本産科婦人科定時総会(平成 26 年 6 月 21 日)はこれを承認しましたので,ここに会告としてお知らせ致します.

本会会員におかれましては,今回の改定の趣旨を十分ご理解のうえ遵守されることを望みます.

※なお、日本医師会『医師の職業倫理指針 第3版』(平成28年10月)31頁によれば、「現在、わが国における生殖補助医療(assisted reproductive technology;ART)には法規制がなく、日本産科婦人科学会の見解に準拠し、医師の自主規制のもとに実施されている。」

8 私見

  • 平成26年日本産科婦人科学会会告及び平成25年裁判例に照らせば、不妊治療クリニックとしては、「①事実婚関係にあること、②他に配偶者はいないこと」の自己申告の確認(事実婚夫婦の署名押印は必要)のみで足りると考える。
  • 戸籍記載情報や住民票記載情報を確認する場合は、プライバシー保護・個人情報保護の観点から、必要最小限の情報取得に留めることが望ましいと考える。例えば、戸籍謄本に代え「独身証明書」とする、住民票に代え「住民票記載事項証明書」とする等。
  • なお、個人情報保護法は、個人情報を取り扱うに当たっては、その利用目的をできる限り特定し(同法15条1項)、個人情報の取得に際しては、原則として、その利用目的を本人に通知・公表することを求めている(同法18条)。また、個人データを利用する必要がなくなったときは、当該個人データを遅滞なく消去するよう努めなければならず(同法19条)、引き続き保有する場合でも、目的外利用は許されておらず(同法16条)、個人データの安全管理のために必要かつ適切な措置を講じなければならない(同法20条)。
  • 助成金申請要件については、①行政機関が交付するものであり法の趣旨に反する交付は除外されるべきであること、②提出書類(戸籍謄本や住民票等)を受領するのは行政機関であることから、上記要件が求められ、また許容されると考える。

以上

【参考文献】

本文内にあげたもののほか、

・内田貴『民法Ⅳ 親族相続』(補訂版)東京大学出版会

・二宮周平『新法学ライブラリー=9 家族法』(第5版)新世社

・小島妙子・伊達聡子・水谷英夫『現代家族の法と実務 多様化する家族像-婚姻・事実婚・別居・離婚・介護・親子鑑定・LGBTI』日本加除出版

 

吉田総合法律事務所へのお問い合わせ□■

お電話(03-3525-8820)もしくはご相談予約フォーム(予約専用)よりお問い合わせください。 お電話の受付時間は平日10:00~18:00です。 また、ご相談予約フォームの受付は24時間受け付けております。 Zoom,Teamsなどを用いたオンライン形式での面談も承りますので、お申し付けください。

   

ビジネス契約書のチェックポイント

2020年6月16日 弁護士 星野 光子

はじめに

アフター・コロナ(A・C)においては、今まで以上に契約書の重要性が高まると考えられます。今回、予想しなかった事態が生じたことで、リスク管理の観点から契約書の見直しが必要になったり、アフター・コロナを見据えた新しいビジネスモデルの検討が増えると考えられるからです。

弊所では、平時から、多岐にわたる分野の契約書チェック・作成を多く取り扱って参りました。

そこで、弊所における契約書チェックの例をご覧頂ければと思います。

 

契約書チェックのご依頼を受ける際にお伺いすること

弊所では、初めて契約書チェックのご依頼を受ける際、ご依頼者様と相手方の業種、業界、資本金、売上高、従業員数、これまでの取引状況等をお伺いすることがあります。業界慣行、取引慣行、ご依頼者様と相手方とのパワーバランス、ご依頼者様と相手方との信頼度等を知るためです。

民法92条は「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。」、商法1条2項は「商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法(明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。」と定めています。業界慣行、取引慣行を知ることは、契約書解釈に必須です。

また、契約書の交渉においては、パワーバランスを考慮せざるを得ません。ご依頼者様のお話を伺い、相手方とのパワーバランスから、相手方が出してきた原案をどの程度まで当方有利に修正するか検討します。

さらに、ご依頼者様と相手方とのこれまでの取引状況から、ご依頼者様と相手方との信頼度をはかり、どの程度、契約書を詳細にするかを検討します。

 

契約書交渉に関するアドバイス

契約書チェックはリスク管理のために行いますが、当方有利な修正案に相手方が応じない場合は、相手方とのパワーバランスを考慮し、ビジネスの推進を優先させるか今回の契約は断念するかを決めなければなりません。最終的な決断は、ご依頼者様の経営判断となります。

弊所では、交渉時の具体的な対応の方法もご提案させて頂きます。

(一例)

  • 譲れないポイントと譲ってもよいポイントを分ける。
  • 修正の要望を多く出し、譲歩幅をもつ。
  • 契約締結を急がない。

 

以下、契約類型毎に、原案に変更履歴を付した修正案をお出しします。ぜひご覧ください。

 
※ 当PDFファイルは、コピー・印刷ができないように設定させていただいております。あらかじめご了承ください。また、何らかの形で当PDFファイルをご利用されトラブルが発生した場合、利用者または第三者に損害が生じた場合であっても弊所は一切の責任を負担いたしません。

吉田総合法律事務所へのお問い合わせ□■

お電話(03-3525-8820)もしくはご相談予約フォーム(予約専用)よりお問い合わせください。
お電話の受付時間は平日10:00~18:00です。
また、ご相談予約フォームの受付は24時間受け付けております。
Zoom,Teamsなどを用いたオンライン形式での面談も承りますので、お申し付けください。

 

新型コロナウイルスに関連する労務問題Q&A

2020年5月25日 弁護士 星野 光子

 <参考文献>
  文中に挙げたものの他、
  日弁連中小企業法律支援センター「新型コロナウイルスに関連する法律相談Q&A」(2020年4月28日更新版)
  2~7頁のQ2-1からQ2-9

労働者を休業させた場合の給与・休業手当
[ 前提 ]
労働者を休業させた場合の給与、休業手当の支払いに関する規定について整理します。

民法第536条(債務者の危険負担等)

1 当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができる。

2 債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。この場合において、債務者は、自己の債務を免れたことによって利益を得たときは、これを債権者に償還しなければならない。

民法536条1項によると、当事者双方(=労使双方)の責めに帰することができない事由によって、債務を履行することができなくなった(=休業した)とき、使用者は給料全額の支払いを拒むことができます。

自然災害(地震、津波)により直接的な被害を受けた場合等が例として挙げられます。

民法536条2項によると、債権者(=使用者)の責めに帰すべき事由によって、債務を履行することができなくなった(=休業した)とき、使用者は、給料全額の支払いを拒むことができません(=労働者は給料全額を請求できます)。民法536条2項の「債権者の責めに帰すべき事由」とは、「債権者の故意,過失またはこれと同視すべき事由」をいいます。

解雇予告をすることなく解雇した場合が例として挙げられます。

労働基準法第26条(休業手当)

使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない。

労働基準法26条によると「使用者の責に帰すべき事由に」よって休業したとき、労働者は平均賃金の60%以上の手当を支払わなければなりません。

労働基準法26条の「使用者の責めに帰すべき事由」とは、①民法536条2項の『債権者の責めに帰すべき事由』よりも広く、使用者側に起因する経営、管理上の障害を含む」(ノース・ウエスト航空事件、最高裁第2小法廷昭和62年7月17日判決)、②不可抗力によるものは含まれない(菅野和夫『労働法』(12版)457頁)とされています。

一般には、「不可抗力」とは、①その原因が事業の外部より発生した事故であること、②事業主が通常の経営者として最大の注意を尽くしてもなお避けることのできない事故であることの2要件を満たすものでなければならないと解されています(厚労省HP(新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け)(令和2年5月14日時点版))(以下「厚労省HP」といいます。)4問1も同様。)。

休業手当の支払義務を生ぜしめる事由としては、機械の検査、原料の不足、流通機構の不円滑による資材入手難、監督官庁の勧告による操業停止、親会社の経営難のための資金・資材の獲得困難が挙げられます。

賃金請求権は、労務の給付と対価関係にありますから(労働契約法6条)、従業員の責めに帰すべき事由による休業の場合は、給与、休業手当ともに支払う必要はありません。

労働契約法6条

労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。

休業原因ごとにまとめると、次のとおりとなります。

A 双方の責めに帰することができない事由(民法536条1項)
→給与・休業手当不要B 使用者の責めに帰すべき事由(使用者側に起因する経営、管理上の障害)(労働基準法26条)
60%以上の休業手当支払要C 使用者の責めに帰すべき事由(使用者の故意・過失および信義則上これと同視すべき事由)(民法536条2項、労働基準法26条)
100%の給与支払要
労働基準法26条の範囲において同条の適用あり(実益は付加金)D 従業員の責めに帰すべき事由
→給与・休業手当不要

 

【Q1】 感染が疑われる従業員を休業させる場合
新型コロナウイルスへの感染が疑われる従業員を休業させる場合、給与又は休業手当の支払いは必要ですか?

【A1】
使用者の責めに帰すべき事由はないとされ、法的には不要であることが多いと思われます。

ただし、自宅勤務の方法等、休業の回避について通常使用者として行うべき最善の努力を尽くしていないと認められた場合は、休業手当の支払いが必要です。厚労省HPは、「帰国者・接触者相談センター」での相談の結果を踏まえても、職務の継続が可能である従業員について、使用者の自主的判断で休業させる場合には、一般的に、休業手当を支払う必要があるとしています(4の問3)。

自宅勤務させる場合、使用者には安全配慮義務がありますので、この点、留意する必要があります。

【Q2】 感染した従業員を休業させる場合
従業員が新型コロナウイルスに感染したために休業させる場合、休業手当はどのようにすべきですか?

【A2】
法的には支払う必要はありません。

令和2年2月1日、新型コロナウイルス感染症は、感染症予防法の指定感染症として定められ、新型コロナウイルスに感染した者は、都道府県知事により、就業制限や入院勧告を受けます。この場合の休業は、使用者の責めに帰すべき事由によるものではありません。

なお、被用者保険に加入している場合であれば、要件を満たせば、各保険者から傷病手当金が支給されます。

また、この場合、休業の日についてはすでに労働義務がなく、年次有給休暇を取ることはできませんが、労使合意の下に、年次有給休暇取得を認めることは差し支えありません。

【Q3】 自主休業の場合
従業員が発熱などの症状があるため自主的に休んでいます。その場合、休業手当の支払いは必要ですか?

【A3】
法的には支払う必要はありません。

新型コロナウイルスに感染しているかどうかがわからない時点で、発熱などの症状があるため従業員が自主的に休む場合には、通常の病欠と同様に扱います。

【Q4】 事業の休止に伴う休業の場合
新型コロナウイルス感染症によって、事業の休止などを余儀なくされ、やむを得ず休業する場合、休業手当の支払いは必要ですか?

【A4】
(1)海外の取引先が新型コロナウイルス感染症を受け事業を休止したことに伴う事業の休止である場合
使用者の責めに帰すべき事由か否かを検討することが必要です。

厚労省HPは、当該取引先への依存の程度、他の代替手段の可能性、事業休止からの期間、使用者としての休業回避のための具体的努力等を総合的に勘案し、判断する必要があるとしています。(4問5)

休業手当支払義務を生じさせる休業事由の典型例として、原料の不足、流通機構の不円滑による資材入手難が挙げられます(菅野和夫『労働法』457頁)。

上記判断には、慎重な検討が求められます。

(2)新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下「特措法」といいます。)適用下で、協力依頼や要請などを受けた営業の自粛に伴う休業の場合
使用者の責めに帰すべき事由か否かを検討することが必要です。
労働基準法26条の「使用者の責めに帰すべき事由」には「不可抗力」によるものは含まれません。

そして、厚労省HPによると、「不可抗力」とは、①その原因が事業の外部より発生した事故であること、②事業主が通常の経営者として最大の注意を尽くしてもなお避けることのできない事故であることという要素をいずれも満たす必要があるとしています。

そして、「①に該当するものとしては、例えば、今回の新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく対応が取られる中で、営業を自粛するよう協力依頼や要請などを受けた場合のように、事業の外部において発生した、事業運営を困難にする要因が挙げられ」、「②に該当するには、使用者として休業を回避するための具体的努力を最大限尽くしていると言える必要があ」るとし、「具体的な努力を尽くしたと言えるか否かは、例えば、

  • 自宅勤務などの方法により労働者を業務に従事させることが可能な場合において、これを十分に検討しているか
  • 労働者に他に就かせることができる業務があるにもかかわらず休業させていないか

といった事情から判断される」としています(4問7)。

上記厚労省HPの①の要件の書き方はあいまいであり、その判断には慎重さが求められます。さらに付言すれば、万が一訴訟になった場合、厚労省の基準どおりの基準を裁判所が定立するとは限りません。

なお、東京都の緊急事態措置の内容や対象は以下のとおりです。

新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等
対象施設一覧(東京都)

また、東京都の緊急事態措置等による休業要請は、特措法24条9項による緊急事態宣言の発出を前提としない協力要請です(一部施設については、緊急事態宣言の発出を前提とした特措法45条2項に基づく施設の使用停止の要請が行われています。)。

安全配慮義務
[ 前提 ]
労働者は、使用者から指定された場所に配置され、使用者の提供する設備、器具等を用いて労働に従事することが一般的ですから、労働契約に伴い信義則上当然に、使用者は労働者を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負っているものと解されています(最高裁昭和50年2月25日(陸上自衛隊事件)、最高裁昭和59年4月10日判決(川義事件))。

それを明文化したものが次の条文です。

 

労働契約法5条

使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。

 

「必要な配慮」の内容は、一律に定まるものではなく、使用者に特定の措置を求めるものではありませんが、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等の具体的な状況に応じて、必要な配慮をすることが求められます(労務行政研究所編『実務コンメンタール 労働基準法 労働契約法』579頁)。

【Q5】 使用者が新型コロナウイルス感染症対策を講じなかったために従業員が感染した場合
わが社では、新型コロナウイルス感染症対策を特に講じていなかったところ、従業員が感染してしまいました。使用者は安全配慮義務違反を負いますか?

【A5】
新型コロナウイルス感染症対策を講じなかったことと従業員の感染に相当因果関係が認められれば、安全配慮義務違反として損害賠償責任を負う可能性があります。

【Q6】 感染した従業員が自宅勤務したいと申し出た場合
従業員が新型コロナウイルスに感染したため、出社を禁じたところ、体調は悪くないので、自宅勤務をしたいとの申し出がありました。本人が大丈夫だと言っているので、自宅で可能な業務をさせても問題ないでしょうか?

【A6】
自宅で可能な業務を命じた後、症状が悪化した場合には、使用者として必要な安全配慮を尽くしていないと判断される可能性がありますので、慎重な検討が必要です。

採用内定者の内定取消し

【Q7】
今回の新型コロナウイルス騒動のため、売上が相当落ち込み、事業規模の縮小も検討せざるを得ない状況です。そのような状況に鑑みて、4月に入社予定の採用内定者について、採用内定を取り消したいのですが、採用内定取消しを適法に行うことは可能でしょうか?

【A7】
最高裁昭和54年7月20日判決(大日本印刷事件)は、採用内定の法的性質について、就労の始期付解約権留保付労働契約が成立したものと判断し、採用の内定の取消し(留保解約権の行使)については、「解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られる」と判示しています。

また、東京地判平成9年10月31日判決(インフォミックス事件)は、「企業が経営の悪化等を理由に留保解約権の行使(採用内定取消)をする場合には、いわゆる整理解雇の有効性の判断に関する…4要素を総合考慮の上、解約留保権の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ、社会通念上相当と是認することができるかどうかを判断すべき」としました。

整理解雇の有効性の判断に関する4要素とは、以下の要素です。

  1. 人員削減の必要性
  2. 解雇回避措置の相当性
  3. 人選の合理性
  4. 手続の相当性

解約権行使が適法か否かに関する裁判所の判断は、概して使用者に厳しい傾向にありますから、慎重な判断が必要です。

 

吉田総合法律事務所へのお問い合わせ□■

お電話(03-3525-8820)もしくはご相談予約フォーム(予約専用)よりお問い合わせください。
お電話の受付時間は平日10:00~18:00です。
また、ご相談予約フォームの受付は24時間受け付けております。
Zoom,Teamsなどを用いたオンライン形式での面談も承りますので、お申し付けください。