大事な場面を生き延びる大事なもの

~井上尚弥と中谷潤人の一戦から考えた「防御力」~

皆様、こんにちは。
本日は中秋の名月ですね。秋らしく過ごしやすい季節となってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年は台風や豪雨災害が多発するなど、気の抜けない日々が続いております。皆様が穏やかな日々を過ごされますよう心より祈念しております。

さて、今回は私の大好きなボクシング観戦を通して考えたことをお届けいたします。

華やかなKOの陰にあるもの

ボクシングを観ていて、最も心が躍る瞬間の一つは、やはり鮮やかなKOでしょう。

強烈なパンチを持ち、次々と相手を倒していく選手は「KOアーティスト」と呼ばれます。私たちはどうしても、その華々しい攻撃力に目を奪われます。

しかし、長くボクシングを観ていると、少し違うことにも気づきます。

一流のKOアーティストは、ほとんど例外なく「防御の達人」でもあるのです。

相手のパンチをまともにもらわない。危険な距離に長くとどまらない。相手の攻撃をかわしながら、自分が攻撃できる瞬間を探し続ける。

致命的なダメージを受けずに試合を進めることができるからこそ、「ここだ」という瞬間に自分の最大の攻撃力を発揮できます。

つまり、派手な「攻撃」の前に、目立たない「防御」があるのです。

「素人は戦術を語り、プロは兵站を語る」

軍事の世界に「素人は戦術を語り、プロは兵站を語る」という趣旨の言葉があります。

どれほど強力な兵器を持ち、優秀な兵士を揃えていても、食料、燃料、弾薬などを前線に送り続ける補給線が途絶えれば、戦うことはできません。

私は、ボクシングの防御にも、これと似たところがあるように思います。

攻撃力という華々しい「戦術」を最後まで機能させるためには、自分自身が致命傷を負わず、戦い続けられる状態を維持しなければなりません。

攻撃力を支えているものは、実は防御力なのです。

2026年5月2日、東京ドーム

そのことを改めて考えさせられたのが、2026年5月2日、東京ドームで行われた井上尚弥選手と中谷潤人選手の一戦でした。

日本ボクシング界を代表する二人のKOアーティストによる、世界スーパーバンタム級4団体統一タイトルマッチです。

右構えの井上選手と、左構えの中谷選手。右と左が向き合う、いわゆる「喧嘩四つ」では、互いの頭の位置が近くなり、偶発的なバッティングが起こりやすいといわれます。

そして実際の試合でも頭部の衝突が起こり、その後、中谷選手は目の周辺からの出血によって視界に影響を受け、さらに井上選手のアッパーカットを受けました。

防御とは「パンチを避けること」だけではない

もちろん、これを単純に「不運だった」の一言で片付けることはできません。

ボクシングにおいては、パンチを避けるだけが防御ではないからです。

相手との距離、踏み込む角度、頭の位置、足の運び。偶発的な衝突をできるだけ避けることまで含めて、超一流の選手には高度な危機管理能力が求められます。

その意味では、あの試合は井上選手の攻撃力だけでなく、「危険な状況をできる限り作らない」という総合的な防御力の高さが表れた試合だったのではないか、と私は感じています。

ですから、井上選手の勝利には十分な理由があります。

しかし、それでも私は、もう一度この二人の試合を見たいと思っています。

もし、あのバッティングがなかったら。

もし、中谷選手が十分な視界を保ったまま最後まで戦えていたら。

もちろん、結果が逆になったとは言えません。それも含めてボクシングです。

ただ、「そうだったら、どんな試合になったのだろう」と考えると、ボクシングファンとしてワクワクします。

人生にも「防御力」がある

そして、この「攻撃力を支える防御力」という話は、ボクシングだけの話ではないように思います。

例えば健康です。

仕事で成果を上げる。新しいことに挑戦する。旅行をする。スポーツを楽しむ。

どれも人生における「攻撃」と言ってよいかもしれません。

しかし、その前提には健康があります。

睡眠、食事、運動、休養、健康診断。

どれも華々しくありません。しかし、こうした地味な「防御」を怠れば、どれほど能力や意欲があっても、いつか思うように動けなくなります。

人生は一度の勝負ではありません。

次の仕事もあり、次の挑戦もあり、明日もその先も続いていきます。

だからこそ、一度の成果を最大化することだけでなく、「次の勝負ができる状態で自分を残しておくこと」も大切なのだと思います。

企業経営における「防御力」

企業経営も同じです。

売上を伸ばす。新規事業に進出する。設備投資をする。人を増やす。新しい市場に挑戦する。

こうした「攻める経営」は目立ちますし、企業が成長するためには当然必要です。

しかし、会社は良い時だけ経営するものではありません。

景気が悪くなることもあります。主要な取引先を失うこともあります。原材料価格や人件費が予想以上に上昇することもあります。事故、不祥事、災害、訴訟など、経営者が事前には予想できなかった出来事が突然起こることもあります。

そのときに会社を守るのは、平時にはあまり目立たなかったものです。

十分な手元資金、健全な財務体質、信頼できる従業員、長年築いてきた取引先との関係、コンプライアンス、契約管理、情報管理、そして問題が起きたときに早く対応できる組織。

これらは、会社の売上を直接増やすものではないかもしれません。

しかし、危機が起きたときには、こうしたものが会社をリングに立たせ続けます。

「守る」とは、動かないことではない

そして、ここで大切なのは、「防御」という言葉を、単に消極的なものと考えないことだと思います。

守るということは、何もしないことではありません。

むしろ、次に攻めることができる状態を守ることです。

手元資金に余裕があれば、不況になっても慌てて大切な資産を手放さずに済みます。

人材が育っていれば、突然の問題にも組織として対応できます。

取引先や顧客との信頼関係があれば、一時的な失敗が直ちに会社の存続問題になることを避けられるかもしれません。

そして、法務やコンプライアンスの仕組みが整っていれば、小さな問題が会社を揺るがす大問題になる前に対応できる可能性が高まります。

防御力とは、危険から逃げる力だけではありません。

危険を乗り越えたあとに、もう一度攻めることができる力でもあるのです。

最後までリングに立ち続けるために

考えてみれば、人生でも企業経営でも、私たちはつい「どうやって勝つか」を考えます。

しかし、本当に長い勝負になればなるほど、

「どうすれば負けないか」

「どうすれば致命傷を受けないか」

「どうすれば次の一手を打てる状態で立ち続けられるか」

という視点も同じくらい大切なのかもしれません。

強烈なパンチを打つためには、その瞬間まで倒れずに立っていなければなりません。

華やかな攻撃の陰には、目立たない防御があります。

そして、本当に強い防御とは、ただ守ることではなく、次に攻撃する力を残すことなのだと思います。

井上尚弥選手と中谷潤人選手の戦いを観ながら、私はそんなことを考えました。

そして――やはり、もう一度この二人の試合を見てみたい。

次に二人がリングで向かい合うことがあれば、私は今度は「どちらが強いパンチを打つのか」だけではなく、「どちらが相手に自分の攻撃をさせないのか」という目でも、その一戦を楽しみたいと思っています。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

来月もどうかよろしくお願いいたします。

吉田総合法律事務所
所長 吉田 良夫