大事な場面を生き延びる大事なもの

~井上尚弥と中谷潤人の一戦から考えた「防御力」~

皆様、こんにちは。
本日は中秋の名月ですね。秋らしく過ごしやすい季節となってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今年は台風や豪雨災害が多発するなど、気の抜けない日々が続いております。皆様が穏やかな日々を過ごされますよう心より祈念しております。

さて、今回は私の大好きなボクシング観戦を通して考えたことをお届けいたします。

華やかなKOの陰にあるもの

ボクシングを観ていて、最も心が躍る瞬間の一つは、やはり鮮やかなKOでしょう。

強烈なパンチを持ち、次々と相手を倒していく選手は「KOアーティスト」と呼ばれます。私たちはどうしても、その華々しい攻撃力に目を奪われます。

しかし、長くボクシングを観ていると、少し違うことにも気づきます。

一流のKOアーティストは、ほとんど例外なく「防御の達人」でもあるのです。

相手のパンチをまともにもらわない。危険な距離に長くとどまらない。相手の攻撃をかわしながら、自分が攻撃できる瞬間を探し続ける。

致命的なダメージを受けずに試合を進めることができるからこそ、「ここだ」という瞬間に自分の最大の攻撃力を発揮できます。

つまり、派手な「攻撃」の前に、目立たない「防御」があるのです。

「素人は戦術を語り、プロは兵站を語る」

軍事の世界に「素人は戦術を語り、プロは兵站を語る」という趣旨の言葉があります。

どれほど強力な兵器を持ち、優秀な兵士を揃えていても、食料、燃料、弾薬などを前線に送り続ける補給線が途絶えれば、戦うことはできません。

私は、ボクシングの防御にも、これと似たところがあるように思います。

攻撃力という華々しい「戦術」を最後まで機能させるためには、自分自身が致命傷を負わず、戦い続けられる状態を維持しなければなりません。

攻撃力を支えているものは、実は防御力なのです。

2026年5月2日、東京ドーム

そのことを改めて考えさせられたのが、2026年5月2日、東京ドームで行われた井上尚弥選手と中谷潤人選手の一戦でした。

日本ボクシング界を代表する二人のKOアーティストによる、世界スーパーバンタム級4団体統一タイトルマッチです。

右構えの井上選手と、左構えの中谷選手。右と左が向き合う、いわゆる「喧嘩四つ」では、互いの頭の位置が近くなり、偶発的なバッティングが起こりやすいといわれます。

そして実際の試合でも頭部の衝突が起こり、その後、中谷選手は目の周辺からの出血によって視界に影響を受け、さらに井上選手のアッパーカットを受けました。

防御とは「パンチを避けること」だけではない

もちろん、これを単純に「不運だった」の一言で片付けることはできません。

ボクシングにおいては、パンチを避けるだけが防御ではないからです。

相手との距離、踏み込む角度、頭の位置、足の運び。偶発的な衝突をできるだけ避けることまで含めて、超一流の選手には高度な危機管理能力が求められます。

その意味では、あの試合は井上選手の攻撃力だけでなく、「危険な状況をできる限り作らない」という総合的な防御力の高さが表れた試合だったのではないか、と私は感じています。

ですから、井上選手の勝利には十分な理由があります。

しかし、それでも私は、もう一度この二人の試合を見たいと思っています。

もし、あのバッティングがなかったら。

もし、中谷選手が十分な視界を保ったまま最後まで戦えていたら。

もちろん、結果が逆になったとは言えません。それも含めてボクシングです。

ただ、「そうだったら、どんな試合になったのだろう」と考えると、ボクシングファンとしてワクワクします。

人生にも「防御力」がある

そして、この「攻撃力を支える防御力」という話は、ボクシングだけの話ではないように思います。

例えば健康です。

仕事で成果を上げる。新しいことに挑戦する。旅行をする。スポーツを楽しむ。

どれも人生における「攻撃」と言ってよいかもしれません。

しかし、その前提には健康があります。

睡眠、食事、運動、休養、健康診断。

どれも華々しくありません。しかし、こうした地味な「防御」を怠れば、どれほど能力や意欲があっても、いつか思うように動けなくなります。

人生は一度の勝負ではありません。

次の仕事もあり、次の挑戦もあり、明日もその先も続いていきます。

だからこそ、一度の成果を最大化することだけでなく、「次の勝負ができる状態で自分を残しておくこと」も大切なのだと思います。

企業経営における「防御力」

企業経営も同じです。

売上を伸ばす。新規事業に進出する。設備投資をする。人を増やす。新しい市場に挑戦する。

こうした「攻める経営」は目立ちますし、企業が成長するためには当然必要です。

しかし、会社は良い時だけ経営するものではありません。

景気が悪くなることもあります。主要な取引先を失うこともあります。原材料価格や人件費が予想以上に上昇することもあります。事故、不祥事、災害、訴訟など、経営者が事前には予想できなかった出来事が突然起こることもあります。

そのときに会社を守るのは、平時にはあまり目立たなかったものです。

十分な手元資金、健全な財務体質、信頼できる従業員、長年築いてきた取引先との関係、コンプライアンス、契約管理、情報管理、そして問題が起きたときに早く対応できる組織。

これらは、会社の売上を直接増やすものではないかもしれません。

しかし、危機が起きたときには、こうしたものが会社をリングに立たせ続けます。

「守る」とは、動かないことではない

そして、ここで大切なのは、「防御」という言葉を、単に消極的なものと考えないことだと思います。

守るということは、何もしないことではありません。

むしろ、次に攻めることができる状態を守ることです。

手元資金に余裕があれば、不況になっても慌てて大切な資産を手放さずに済みます。

人材が育っていれば、突然の問題にも組織として対応できます。

取引先や顧客との信頼関係があれば、一時的な失敗が直ちに会社の存続問題になることを避けられるかもしれません。

そして、法務やコンプライアンスの仕組みが整っていれば、小さな問題が会社を揺るがす大問題になる前に対応できる可能性が高まります。

防御力とは、危険から逃げる力だけではありません。

危険を乗り越えたあとに、もう一度攻めることができる力でもあるのです。

最後までリングに立ち続けるために

考えてみれば、人生でも企業経営でも、私たちはつい「どうやって勝つか」を考えます。

しかし、本当に長い勝負になればなるほど、

「どうすれば負けないか」

「どうすれば致命傷を受けないか」

「どうすれば次の一手を打てる状態で立ち続けられるか」

という視点も同じくらい大切なのかもしれません。

強烈なパンチを打つためには、その瞬間まで倒れずに立っていなければなりません。

華やかな攻撃の陰には、目立たない防御があります。

そして、本当に強い防御とは、ただ守ることではなく、次に攻撃する力を残すことなのだと思います。

井上尚弥選手と中谷潤人選手の戦いを観ながら、私はそんなことを考えました。

そして――やはり、もう一度この二人の試合を見てみたい。

次に二人がリングで向かい合うことがあれば、私は今度は「どちらが強いパンチを打つのか」だけではなく、「どちらが相手に自分の攻撃をさせないのか」という目でも、その一戦を楽しみたいと思っています。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

来月もどうかよろしくお願いいたします。

吉田総合法律事務所
所長 吉田 良夫

企業の「稼ぐ力」は現場を守り、信頼の糧になる

~現場の信頼を失った組織は、外敵に敗れる前に内部から崩れる~

ビジネスの世界では、画期的な新技術、カリスマ経営者の英断、競合を出し抜くマーケティングなど、「華々しい戦術」にどうしても目が行きます。

戦国史で有名な「織田信長の鉄砲三段撃ちが武田の騎馬軍団を撃ち破った」という長篠の戦いのイメージも、その一つかもしれません。しかし近年の研究では、私たちがよく知る「織田軍の鉄砲三段撃ち対武田騎馬軍団の一斉突撃」という単純な構図は、史実とはかなり異なると考えられているようです。私も驚きました。

そして、信玄の後を継いだ武田勝頼についても、かつての「武田家を滅ぼした暗愚な二代目」という評価から、近年では、領国を拡大し、軍制や領国経営の立て直しにも取り組んだ能力の高い武将だったと再評価されています。

それでも武田家は勝頼の代で滅亡しました。

軍事の世界には「アマチュアは戦術を語り、プロは兵站(ロジスティクス)を語る」という格言があるそうです。

どれほど優れた戦術や人材があっても、それを支える経済力や補給が続かなければ組織は戦えません。これは戦国時代だけでなく、現代企業にも通じる話ではないでしょうか。

長篠の敗戦後、勝頼は戦力の立て直しを進め、さらに新府城の築城という大事業にも取り組みました。

しかし、長期化する戦争によって人的・物的負担が増大する一方、大規模な築城も進めなければならない。現代企業に置き換えれば、収益基盤が苦しくなる中で、人件費・運転資金・設備投資が同時に膨らんでいくような状況だったのではないでしょうか。

企業でも、本業の「稼ぐ力」が十分でないまま人員を増やし、大規模な設備投資を続ければ、やがて資金や経営資源に余裕がなくなります。

そして、組織から「余力」が失われたとき、その影響は単なる資金繰りにとどまりません。

そのことを象徴するのが「高天神城の見殺し」と呼ばれる出来事です。

徳川軍に包囲された高天神城に対し、勝頼は救援軍を送ることができませんでした。

救援するには、大軍を遠江まで送り、その軍を維持するだけの兵糧・兵力・資金が必要です。当時の武田家を取り巻く軍事情勢も厳しく、勝頼には高天神城を救援するだけの十分な余力がなかったと考えられています。

勝頼にも事情があったのでしょう。

しかし、城を守る武将や家臣の側から見ればどうでしょうか。

「いざというとき、武田家は自分たちを助けてくれない。」

そう受け止められれば、主君への信頼は失われます。その後、武田家では身内や重臣の離反が相次ぎました。織田・徳川という強大な外敵に敗れる以前に、組織は内部から崩れ始めていたという見方もできると思います。

これは現代企業でも同じかもしれません。

会社が現場に高い目標を要求する一方、それを実現するための人員、時間、予算を十分に与えない。業績が悪くなれば、さらに厳しいノルマやコスト削減を求める。

それでも現場は「結果を出せ」と要求される。

こうした状態が続けば、従業員の会社に対する信頼や帰属意識が失われるだけでなく、品質不良、不正会計、データ改ざんなどのコンプライアンス違反を生み出す土壌にもなりかねません。

もちろん、収益力が高ければ不祥事が起きないという単純な話ではありません。

しかし、現場に目標を課すのであれば、それを適正に達成するための「補給線」を用意することも経営の責任ではないでしょうか。

一方の織田信長は、支配下の城下町で楽市政策を採用するなど商業・流通を重視し、畿内の豊かな経済圏へ勢力を拡大していきました。

私は、長篠の勝敗を単に鉄砲の撃ち方だけで説明するより、大量の鉄砲、弾薬、兵糧、人員を用意し、戦場まで運び、戦い続けられる経済力と組織力にも目を向ける必要があるように思います。

現代企業でも、コンプライアンス規程の整備や監査体制の強化は重要です。

しかし、それらを本当に機能させるためには、企業が健全に「稼ぎ続ける力」も必要です。

収益力があれば、経営者は現場に無理なノルマや過剰なコスト削減を強いる必要が少なくなります。

必要な人材を配置し、適切な設備投資を行い、従業員や取引先を支える余力も生まれます。

そして、その「余力」が、現場を追い詰めることで生じる不正を防ぎ、企業に対する信頼を守ることにもつながるのではないでしょうか。

今回、武田勝頼について改めて調べてみて、私自身、大河ドラマや小説などから受けていたイメージとは違う部分がありました。

有能なリーダーがいても、組織を支える兵站が弱れば、やがて現場を守れなくなる。

現場を守れなくなれば、信頼を失う。

そして信頼を失った組織は、外敵に敗れる前に内部から崩れていくことがあります。

戦国時代の「兵站」は、現代企業でいえば、資金、人材、時間、設備など、現場が正しく仕事をするための経営資源なのかもしれません。

企業の「稼ぐ力」は、単に利益を増やすためだけのものではありません。

現場を守り、従業員を守り、取引先を守り、そして企業への信頼を守るための大切な「補給線」でもある。

最近の著名企業の不祥事などを見ていても、そのことを改めて考えさせられます。

皆様の会社では、現場を追い詰めてはいないでしょうか。

そして、現場への「補給線」は十分でしょうか。

来月もどうかよろしくお願いいたします。

吉田総合法律事務所
所長 吉田 良夫

人生を分ける決断

~賤ケ岳の戦いから考えるリスクマネジメント~

皆様、こんにちは。
厳しい暑さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

私は歴史が好きなのですが、歴史を見ていて特に興味深いと思うのは、後世に生きる私たちは「その後どうなったか」を知っているということです。

「あのとき、こちらを選んだから成功した」「あそこで判断を誤ったために、その後の人生が厳しくなった」と、私たちは結果を知ったうえで歴史を見ることができます。

しかし、当然ながら、その時代を生きていた本人には未来は見えていません。
どちらを選んでも何かを失う。それでも、どこかで決断しなければならない。
歴史には、そんな「人間の苦渋の決断」が数多く残されています。

先日の大河ドラマ「豊臣兄弟」では、秀吉と柴田勝家が争った「賤ヶ岳の戦い」が描かれていました。

その中で私が特に興味を持ったのが、後に加賀百万石の礎を築く前田利家の決断でした。

利家にとって柴田勝家は、織田家の北陸方面を率いる上司であり、長年恩義を受けてきた主君に近い存在でした。

一方、秀吉とは織田家草創期からの古い友人です。さらに、利家の妻「まつ」と秀吉の妻「ねね」も親しく、家族ぐるみの深い付き合いがありました(秀吉の養女となった「お豪」は、利家とまつの実の娘です)。

つまり利家にとって「勝家か秀吉か」という選択は、単なる政治的・軍事的な選択ではありません。

長年の恩義を取るのか、古くからの友情と家族のつながりを取るのか。どちらを選んでも大切なものを失う可能性があります。

1583年、秀吉軍と勝家軍は賤ヶ岳で激突します。

そして戦いの決定的な局面で、利家は勝家方の武将の救援に向かわず、戦線を離脱して自らの領地である越前府中へ退きました。この離脱が柴田軍内の動揺を広げ、賤ヶ岳の戦いの勝敗に大きな影響を与えたと考えられています。

この行動の真意についてはさまざまな見方があり、単純に「利家が勝家を裏切った」と言い切れるものではないようです。

私には、勝家への恩義と秀吉との深い関係の間で苦しみ続けた利家が、最後に「どちらかを攻撃する」のではなく、「戦わない、戦線を離れる」という苦渋の決断をしたようにも見えます。

しかし、決断には結果が伴います。

利家の離脱後、柴田方は崩れ、敗走します。その後、勝家を追撃する秀吉は越前府中の利家のもとを訪れ、利家は秀吉に臣従します。

そして前田家は、その後の激動の時代を生き抜き、やがて加賀百万石へと発展していきます。

後世の私たちは、その繁栄の事実を「前田利家の成功物語」として知っています。

しかし、賤ヶ岳の戦場を離れたその瞬間の利家は、自分の未来を知る由はなく、自らの決断がどのような結果を招くのか、大きな不安の中にいたのではないでしょうか。

ここに、私は歴史から学ぶ面白さを感じます。

人生にも仕事にも、ときとして重大な決断を迫られる場面があります。

しかも、その場面では何が「正しい選択肢」なのか、何が「間違った選択肢」なのか分かりません。

どの道にも言い分や合理性があり、どの道にも危険がある。そして、どちらを選んでも何かを失う可能性があります。

その決断によって、その後非常に厳しい人生になる人もいます。一方で、苦しい決断とその後の苦境を乗り越え、そこから人生を開花させ、大きな仕事を成し遂げる人もいます。

後になって結果が分かってから、「あの判断は正しかった」「間違っていた」と事後評価することはできます。

しかし、人生でも仕事でも、リスクマネジメントとは結果を知ってから行うものではありません。

結果が分からない段階で、何が起こり得るのかを考え、できる限り情報を集め、最悪の場合も想定し、それでも最後には決断する。

そこにリスクマネジメントの本質の一つがあるように思います。

賤ヶ岳の戦いについて、もう少しだけお付き合いください。

信長存命時、勝家は織田家の方面軍司令官として筆頭格の武将でした。しかし、本能寺の変から賤ヶ岳までの約10か月という短期間で、秀吉は急速に勢力を拡大します。

京都・大坂・堺を中心とする経済圏への影響力を強め、堺商人や多くの有力武将との関係を築き、交通・物流面でも有利な立場を形成していきました。

戦争では「兵站」が重要だといわれます。

誰から調達するのか。どう運ぶのか。不足した場合の代替手段はあるのか。そして、その仕組みを継続できるのか、という問題です。

これは企業経営でも同じです。

資金、人材、取引先、物流、情報、システム。これらは平常時には動いて当たり前ですから、あまり目立ちません。しかし、それが当たり前ではなくなる重大局面では、必要な人がいて、必要な物資や情報が届き、組織が動き続けられるかどうかが、その命運を左右します。

そして、もう一つ重要なのが「人」です。

人間あっての組織であり、戦時でも平時の企業経営でも、人についてのリスクマネジメントは極めて重要です。

「この人はいま、どのような立場に置かれているのか」
「何と何との間で苦しんでいるのか」
「重大な局面で、どのような決断をする可能性があるのか」

経済的な事情だけではありません。人には、他人には言いにくいその人固有の事情もあれば、感情もあり、家族の事情もあります。

その人が離反することなく、同じ船に乗って共に歩んでいくために、自分は何をすべきなのか、何に注意すべきなのか。

そこまで考えることも、生き残るための大切なリスクマネジメントではないかと思います。

勝家には勝家の決断があり、利家には利家の決断があり、秀吉には秀吉の決断がありました。

その結果、ある者は歴史の表舞台から去り、ある者はそこからさらに大きな人生を歩むことになります。

しかし、その結末を、選択する時点の本人たちは知ることができません。

私たちが生きている「現在」も同じです。まだ結果の分からない、それぞれの歴史の途中にいます。

だからこそ、人生の重大な局面では、できる限り情報を集め、人を見て、状況の変化を感じ、分析し、考え、リスクを想定し、その対策を尽くす。

そして最後は、自分の人生なのですから、自分で決断し、その結果を自分で受け止める。

前田利家の苦渋の決断とその後の人生を思いながら、改めてそのように考えました。

時代が変わり、食べるものも、社会の仕組みも、私たちが使う道具も大きく変わりました。
しかし、人が悩み、迷い、決断し、その結果を背負って生きていくという、人間と人生の本質は、太古の昔からそれほど変わっていないように思います。

だからこそ、歴史は本当に面白く、そして歴史から多くのことを学ぶことができるのだと思っています。

まだまだ暑い日が続きます。
皆様、どうぞお身体にお気をつけてお過ごしください。

来月もよろしくお願いいたします。

吉田総合法律事務所
所長 吉田 良夫

勝負を分けた、たった一枚のカード

~2026年サッカーワールドカップ決勝戦から考える「勝負の流れ」~

盛夏の候、連日厳しい暑さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

また、7月28日に発生した熊本地方を震源とする地震の報に接し、深く心を痛めております。現在もなお被害の全容は明らかになっておらず、日を追うごとに被害の大きさや深刻な状況が伝えられ、その甚大さに胸が痛む思いです。

このたびの災害や事故により尊い命を失われた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。

また、被害に遭われた皆様、避難生活や復旧対応などで不安な日々を過ごされている皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興と、平穏な日常が戻りますことを心よりお祈り申し上げます。

このような中ではありますが、今月は、2026年 サッカーワールドカップ決勝戦を題材に、

「勝負の流れ」の不思議さについて感じたことを書いてみたいと思います。

今回の決勝戦は、最後まで互いに譲らぬ緊張感に包まれた名勝負でした。

しかし、私には、勝敗を分けた最大の分岐点は、後半アディショナルタイムにアルゼンチンのエンソ・フェルナンデスに提示された二枚目のイエローカードだったように思えてなりません。

その瞬間、試合の景色は一変しました。

数的優位に立ったスペインは延長戦で波状攻撃を仕掛け、アルゼンチンは長時間にわたり防戦を強いられます。そして112分、フェラン・トーレスの決勝ゴールが生まれ、連覇を目指したアルゼンチンの夢は静かに幕を閉じました。

スポーツの世界では、たった一つの判定、一瞬の判断が、その後の流れを大きく変えてしまうことがあります。この試合は、その典型例だったように感じました。

試合が終わった今でも、私の頭から離れないことがあります。

「もし退場がなく、11人対11人のまま延長戦に入っていたなら、結果はどうなっていただろう。」

サッカーファンなら誰もが一度は思い描く「タラレバ」の世界です。

アルゼンチンは持ち前の粘り強い守備でスペインの猛攻を耐え切り、PK戦まで持ち込めたかもしれません。

ワールドカップでのアルゼンチンは、PK戦において世界屈指の勝負強さを誇ります。

その実績を考えると、「もし11人だったなら」という想像は決して突飛なものではなく、多くのサッカーファンが共有する思いではないでしょうか。

もちろん、これは永遠に答えの出ない空想です。しかし、その空想こそがスポーツ観戦の醍醐味でもあります。

観戦者の間では、「スペインはアルゼンチンのPK戦での強さを十分に理解していたからこそ、90分、あるいは延長戦で決着をつけようと考え、相手の焦りや情熱を巧みに利用したのではないか」という見方も語られていました。

真偽は分かりません。

しかし、勝負の世界では、技術だけではなく、相手の心理状態や感情まで含めて戦略の対象となります。

格闘技では反則を誘う駆け引きが存在しますし、サッカーでも相手を心理的に揺さぶり、有利な状況を作ろうとする戦術は決して珍しいものではありません。

極限の勝負だからこそ、人間の強さと弱さ、その両方が勝敗を左右するのだと改めて感じました。

企業法務の現場でも、このことを強く感じる場面があります。

紛争事案や紛争になりそうな局面では、当事者はどうしても感情が揺さぶられます。

そして時には、相手方が意図的にこちらの感情を刺激し、怒りや焦りを誘発するような言動を取ることもあります。

しかし、その挑発に乗ってしまえば、本来であれば避けられたはずの紛争が深刻化し、本人だけでなく、企業や組織にも大きな損失を与えかねません。

だからこそ大切なのは、熱い心を失わないことと、判断と行動は、あくまでも冷静であることです。

正義感や責任感という「熱い心」は持ち続けながらも、感情を暴発させることなく、事実を整理し、法的・経営的な視点から最善の判断を積み重ねていく。

その姿勢こそが、自分自身を守り、組織(企業)を守り、そして長い目で見れば企業を育てることにつながるのだと思います。

熱い心で物事に向き合い、冷静な頭で判断し、落ち着いて行動する。企業法務に携わる者として、私自身も常に心に留めておきたい姿勢です。

結果だけを見れば、「スペインが優勝した」という一行で終わる試合です。

しかし、多くの人の心に残ったのは、「もし11人で戦えていたなら」という、もう一つの物語ではないでしょうか。

スポーツには、結果だけでは語り尽くせない奥深さがあります。

だからこそ、私たちは勝敗だけでなく、その過程や流れ、そして「もしも」に思いを巡らせながら、何度でも試合を語りたくなるのだと思います。

今年のワールドカップ決勝戦は、そのようなスポーツの魅力を改めて感じさせてくれた、記憶に残る一戦でした。

四年後には、また新たなドラマが生まれることでしょう。今からその日を楽しみに待ちたいと思います。

今月も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

猛暑が続きますので、どうかご自愛いただき、充実した夏をお過ごしください。

また来月も、どうぞよろしくお願いいたします。

吉田総合法律事務所
所長 吉田 良夫

観ることも、スポーツを支えること

長く見続けてわかった勝負の奥深さと、対価を支払うという応援

皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
この原稿を書いている今は、梅雨の真っただ中。
蒸し暑さと肌寒さが交互にやってくる、何とも落ち着かない気候が続いています。

そんな中、世間を熱くさせているのが、現在開催中のFIFAワールドカップです。日本代表のオランダ戦での劇的な引き分けや、チュニジア戦の見事な勝利、スウェーデン戦での激闘に、日本中が沸き立っています。

チュニジア戦が行われた6月21日(日曜日)の午後、私は美容院にいました。
薄くなってきた髪を、それなりに整えてもらうためです。

普段ならかなり混み合う時間帯ですが、その日は不思議なほどお客さんがいません。
美容師さんに聞いてみると、どうやら皆さん、サッカーの試合を観るために外出を控えていたようです。
言われてみれば、街を歩く人もいつもより少なく感じられました。
多くの人の予定を変え、街の景色まで少し変えてしまう。
まさに、ワールドカップの持つ圧倒的な力です。

趣味がもたらす「観る力」

髪を整えてもらいながらサッカーの話をしているうちに、話題はいつの間にかボクシングへと移っていきました。
私はかつて、約20年にわたりWOWOWのボクシング番組「エキサイトマッチ」(月曜日放送)を毎週のように観ていました。
仕事を終えて遅い時間に帰宅し、お風呂を済ませてから、録画した試合を観ながら遅い夕食を取る――それが当時の週1回の楽しみでした。

解説を聞きながら、戦略や技術、採点方法などを少しずつ学ぶうち、私の中でボクシングの見え方が変わっていきました。
ただ殴り合っているように見えた試合が、相手との距離を測り、駆け引きを重ね、
一瞬の隙を探り合う、非常に奥深い知的な競技に見えてきたのです。

2017年10月、村田諒太選手が世界ミドル級王座を獲得した両国国技館の試合は、幸運にもリングサイドエリアで観戦できました。
会場を支配したあの緊張感と、勝利の瞬間の大歓声は、今でも肌が覚えています。

毎週一度のささやかな楽しみも、20年続ければ自分なりの「観方」と「楽しみ方」が生まれます。「継続は力なり」と言いますが、これは勉強や仕事に限ったことではありません。
趣味も長く続けることで視野が広がり、楽しみがより深くなっていくのだと実感しています。

対価を支払うという応援

2026年5月2日に東京ドームで行われた、井上尚弥選手と中谷潤人選手の一戦は、残念ながら会場で観ることはできませんでした。

私はパソコンの画面越しに、自分なりのジャッジペーパー(採点表)をつけながら全世界注目の歴史的試合に熱中し堪能しました。
私は是非もう一度見たいです。できればダイレクトリマッチで見たいです。そう願っています。

近年、スポーツ観戦はテレビの無料放送から、インターネットの有料配信(PPVなど)を通じて対価を支払って観るものへと変わりつつあります。

昔を知る身としては、少し寂しく感じる面があるのも事実です。
しかし、私たちが支払うお金は、選手だけでなく、トレーナーやスタッフ、興行を支える多くの人々の血肉となります。
そして、その道を志す次世代の若者たちが、夢だけでなく「職業」としてスポーツを選べる環境づくりへと繋がっていくはずです。

何でも安ければよい、無料であればよい、というわけではありません。
価値あるエンターテインメントを楽しんだときには、それにふさわしい対価を支払う。
その積み重ねこそが、優れた選手や質の高い試合を生み、スポーツ文化を次の世代へと繋ぐ力になるのではないでしょうか。

これからも、選手たちの技術や勇気、そして勝負の奥深さをリスペクトしながら、スポーツ観戦を楽しんでいきたいと思います。

まずは、現在開催中のFIFAワールドカップ。世界各国選手のスーパープレイを期待しつつ、テレビ(または画面)の前で熱い声援を送り続けたいと思います。

今月も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
来月もどうぞよろしくお願いいたします。

吉田総合法律事務所
所長 吉田良夫

歴史の転機に、人は何を背負って立つのか

~ NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見て思った、金ヶ崎の退き口と三人の宿命~

風薫る5月も下旬となり、日中は汗ばむ陽気も増えてまいりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

今回は、少し趣向を変えて、NHK大河ドラマを見て思い出した、私の好きな歴史場面について書いてみたいと思います。

少し前に放送された大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、
織田信長が浅井・朝倉軍の挟撃を受け、越前から撤退する「金ヶ崎の退き口」が描かれていました。

この場面は、私にとって非常に興味深い歴史上の一場面です。

かつては、木下藤吉郎、後の豊臣秀吉が一人でしんがりを務め、信長を救った英雄譚として語られることが多かったように思います。
今回の大河ドラマも、主にこの流れで描かれていました。

しかし、近年の歴史研究や解説に触れると、実際には秀吉だけでなく、明智光秀、徳川家康らも、それぞれの立場と事情の中で撤退戦に関わっていたとされています。

もちろん、歴史の細部については諸説があります。

ただ、私が強く惹かれるのは、まさにこの点です。

後に天下を取る秀吉。

本能寺の変を起こす光秀。

江戸幕府を開く家康。

この三人が、まだ後世の「歴史上の巨人」になる前に、同じ危機の中で命を懸けていたという事実に、何とも言えない面白さを感じます。

秀吉には、ここで功を立てたいという思いがあったかもしれません。

光秀には、信長や将軍家との関係の中で果たすべき役割があったかもしれません。

家康は、信長の同盟者として、また自らの軍勢を生き残らせるため、厳しい状況に向き合わざるを得なかったのかもしれません。

三人は、それぞれ違う理由で、同じ危機の中にいました。

そして、三人とも生き延びました。

もし、このとき秀吉が討たれていたら。

もし、光秀がここで命を落としていたら。

もし、家康が生還できなかったら。

その後の日本の歴史は、まったく違うものになっていたはずです。

歴史を振り返る面白さは、単に「誰が勝ったか」「誰が偉かったか」を知ることだけではありません。むしろ、一人ひとりが、その時点では先の見えない状況の中で、自分の立場、自分の役割、自分の判断を背負って生きていたことに思いをめぐらせるところにあるように思います。

後から見れば、歴史には大きな流れがあったように見えます。
目には見えない何か大きな力が、秀吉、光秀、家康をこの場で生かし、その後も三人の人生を、運命や宿命のように絡み合わせていったようにも感じます。

しかし、その渦中にいる人間には、未来の結末など分かりません。

目の前の危機にどう向き合うか。
その時に何を守り、何を引き受けるか。
その積み重ねが、後から「歴史」と呼ばれるものになるのだと思います。

金ヶ崎の退き口は、秀吉、光秀、家康という三人の運命が、まだ大きく動き出す前に一度交差した場面のように見えます。

後に、光秀と秀吉は山崎の戦いで激突します。
秀吉と家康も、小牧・長久手の戦いで対峙し、家康がその力量を示しながらも、最終的には秀吉が天下統一へと進んでいきます。

金ヶ崎で同じ危機を共有した者たちが、その後、味方となり、敵となり、また時代を動かしていく。

そこに、歴史の不思議さと、人間の宿命のようなものを感じます。

もちろん、私たちの日常は戦国時代ではありません。

しかし、仕事でも人生でも、自分では選びきれない状況に置かれ、その中で何らかの役割を果たさなければならないことがあります。
望んで飛び込む場合もあれば、気づけば巻き込まれている場合もあります。

それでも、その場でどう振る舞うかが、後から振り返ったときに、自分自身の歩みを形づくっているのかもしれません。

大河ドラマをきっかけに、久しぶりに好きな歴史場面について考える楽しい時間を持つことができました。

皆さまも、ドラマや本、旅先の風景などをきっかけに、ふと昔の人物や出来事に思いをめぐらせることがあるのではないでしょうか。

歴史は遠い過去の話でありながら、時に、今を生きる私たちの心にも静かに響いてくるものだと感じます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。


吉田良夫

変化の時代に、何を拠り所とするか

自分なりの判断軸が、心と生活を守る

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 
桜の季節もあっという間に過ぎ、ゴールデンウィークを迎えました。 

駅ではキャリーケースを引く人の姿も目立ち、街の空気もどこか軽やかです。 
年末年始を経て、また一つの節目を迎え、季節は確実に夏へと向かっています。 

さて、季節も流行も、世の中のあらゆるものは常に変化しています。 
とりわけ最近は、国際情勢や経済環境の変動が激しく、ニュースに触れるたびに先行きの不透明さを感じる場面が増えました。 

世界の出来事は複雑に絡み合い、一つの出来事が思いもよらない形で他の地域や経済に影響を及ぼします。 

 
その結果、私たちの日常やビジネス環境にも、静かに、しかし確実に変化が及んできます。 

例えば、最近のイラン戦況による石油危機はその典型です。 

それによりナフサ不足になり、バスユニット工事の受注に大きな影響が出ている等も同様です。 

こうした時代においては、外部環境を正確に予測すること以上に、 
「自分の判断の軸を持つこと」が一層重要になると感じています。 

環境が不安定なときほど、 
自分は何を大切にするのか、どのように判断するのか、 
その基準を見失わないことが、結果として安定した意思決定につながります。 

この意思決定は自分の気持ちを落ち着かせ、感情の乱れや心配不安を軽減することに役立ちます。 

変化の波に翻弄されるのではなく、 

たとえ変化の濁流に巻き込まれ表面的には振り回されることになっても、 
その中で自分なりの立ち位置を保ち続けることはとても大事で価値あることです。 

それが、これからの時代を穏やかに、そして力強く生きるための一つの在り方ではないでしょうか。 

皆さまはどのようにお感じでしょうか。 

今月も最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

吉田良夫

変化の時代に、人に残るもの

AI時代における感情と共感のゆくえ

皆さま いかがお過ごしでしょうか。

3月に入り、東京でも桜が開花しました。
少し暖かくなると、桜の名所は多くの人で賑わいます。

近年は、日本人だけでなく、多くの訪日客の方々が桜を楽しんでいます。
日本の春の風景が、国境を越えて共有されていることを実感する場面です。

一方で、日常の風景も変化しています。
近くのコンビニに入ると、店員さんが全員外国人ということも珍しくありません。

日本はすでに、自国民だけでは労働力を賄えない社会に入り、
外国人の力を前提とした社会のあり方が現実のものとなっています。

そのような中、世界に目を向けると、
移民政策の大きな転換や、国際情勢の緊張の高まりなど、
社会の前提そのものが揺らぐような出来事が続いています。

さらに、生成AIやAIエージェントの急速な普及により、
これまで時間をかけて行っていた調査や分析が、
短時間で完了する時代になりました。

業務の効率化という点では大きな進歩ですが、
同時に「人間の役割は何か」という問いも、より鮮明になってきています。

私自身も昨年秋頃から生成AIを活用していますが、
思考の整理や、いわば「壁打ち相手」として非常に有用であると感じています。

ただ一方で、
AIが導いた結論そのものに対しては、
どこか感情が動きにくいという側面も感じています。

人は、誰かが時間をかけ、試行錯誤し、
熱意をもって生み出したものに対して、
納得や共感、時には感動を覚えるのではないでしょうか。

効率化が進めば進むほど、
「人が関わる意味」や「感情の価値」は、
むしろ相対的に高まっていくようにも思えます。

変化の大きい時代だからこそ、
自分の感情と向き合い、他者の気持ちを理解し、
それぞれの立場や事情の中で折り合いをつけていくこと。

そうした営みこそが、
これからの時代において、より重要になるのかもしれません。

今月も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
来月もどうぞよろしくお願いいたします。

吉田良夫

日進月歩の時代に、何を選ぶか

金利の復活とAIエージェントの進化が問いかけるもの

時代の変化を実感する場面はいくつもあります。

その一つが、銀行預金の金利です。

高度成長期には、郵便貯金の利息で元本が1.5倍、時には2倍になることもあったと聞きます。
しかし長いデフレ低成長期を経て、銀行預金は「利息を得るもの」ではなく、「安全に資金を保管し、決済に使うもの」という感覚に変わりました。
むしろ手数料を支払いながら利用するインフラ、という位置づけだったように思います。

ところが最近では、ネット銀行を中心に、普通預金であっても税引後で年0.5%前後の利息が付く商品が現れています。
各行が様々な条件を設けながら、預金者を獲得しようと競争しています。

背景には、銀行側が資金をより積極的に運用し、貸付や投資機会が増えている現実があります。
預金金利の変化からも、経済活動の再活性化が見えてきます。

もう一つの大きな変化は、生成AIの社会実装です。

近年は、単に質問に答えるだけでなく、利用者が細かく指示しなくても自律的に業務を遂行する「AIエージェント」が登場しています。

企業では、入社間もない社員がAIエージェントを活用し、精度の高い見積書や提案書を短時間で作成できるようになった、という話も珍しくありません。
業務生産性は確実に向上しています。

一方で、「人間の仕事が奪われるのではないか」という懸念も語られます。
極端な論調としては「SaaSの死(SaaS is Dead)」という言葉まで登場し、従来のソフトウェアビジネスの崩壊を予測する議論もあります。

しかし私は、既存の社会システムが一挙に生成AIへ全面移行するとは考えていません。

むしろ、生成AIとAIエージェントの活用によって生まれる余力を、人間が「より高度な思考」や「これまで手を付けられなかった領域」に振り向ける。
その結果として新たなニーズやビジネスが生まれ、それを人間がAIと協働しながら切り拓いていく――
そのような時代になるのではないかと感じています。

日進月歩という言葉があります。

現代社会は、その言葉を体感する段階に入ったのかもしれません。

変化を恐れるのではなく、
変化の構造を理解し、
その中で自分が果たすべき役割を見つける。

生成AIが進化しても、人間が考えること、選択することの価値は失われません。

私自身も、変化を受け止めながら、よりよい仕事とよりよい生き方を模索していきたいと思っております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

吉田良夫

皆様に元気をお届けするために

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

このメルマガでは、私が好きな言葉である「皆様に元気をお届けするために」をタイトルに、お送りさせていただきます。
少しでも皆様の“読む時間が整う”ようなメルマガにできればと思っています。

~不確実性が増す時代だからこそ、心を守る視点を~

年明け以降、世界では地政学・通商・金融をめぐるニュースが続き、国内でも物価上昇や制度の変化など、日々の生活や経営判断に影響する出来事が目立ちます。

「先が読みづらい」「落ち着かない」と感じることが増えた、という方も少なくないのではないでしょうか。

物価の上昇は、数字の上では数%に見えても、日常の体感としてはそれ以上の負担感を覚えることがあります。言い換えると、同じ1万円でも“できること”が少しずつ減っていく。だからこそ、家計でも会社でも、これまで以上に「備え」や「見直し」が大事になってきたと感じます。

一方で、こうした時代だからこそ、意識して持っていたい視点があります。

それは、「不安を消すこと」よりも、「自分が扱える範囲に意識を戻すこと」です。

ふと周りを見渡すと、実は――

自分にできること、見てホッとするもの、心が軽くなるもの、少し前向きになれる時間は、思っているより身近にあります。

「良いことがない」のではなく、「良いことに目が向かなくなっている」だけかもしれない。最近、私はそんなふうに感じています。

このメルマガで、私が皆さまに“正解”を提示できるわけではありません。

ただ、皆様と同じ時代を生きる一人として、「仕事や暮らしの中で大切にしたいこと」を、少しずつ言葉にして共有していければと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

吉田良夫